岡部(2018)の要約を行う。
Jacobsen (1992)の有対自他動詞337ペアに着目して、日本語を獲得中の子どもの自動詞と他動詞の誤用について調査している。
岡部(2018:30 より引用)
特に、有対自他動詞に見られるパターンは動詞ごとに決まっており、規則を用いて動詞の接辞パターンを予測できないことから、子どもがこれらの有対自他動詞を獲得するとき、動詞事に1つずつ記憶しているのではないかと考察している。また、接辞と意味の間に、ある一定の傾向が認められることを、子どもが手掛かりにしているのではないかとも考察している。
CHILDESを使用して、Aki, Ryo, Tai, Asato, Nanami のデータを調査している。
調査した結果、Ryo, Tai, Asato, Nanami のデータはすべて他動詞を自動詞で発話する例であった。一方、Akiの発話の中だけで他動詞を自動詞の意味で用いる誤用が見つかった。興味深いことに、その誤用はJacobsen(1992) におけるタイプIに分類されるという点で共通していた。
Aki 取った、電車(2;4)
Aki ほら、タイヤ、切ってる(2;11)
Aki これが抜くんでしょ?(3;0)
このことから、岡部(2018) は、Nomura and Shirai (1997) や Suzuki (1998) が論じているように、有対自他動詞の誤用の方向性は両方向的であるということを補強している。
以上のことから、次の仮説を提案している。(岡部 2018:46)
子どもは、有対自他動詞の獲得がまだ完全ではない時期には、発話する自他動詞を選択する際に、語幹に付加する接辞が形態的に単純な方を選択する傾向にある。形態的複雑性が同程度である場合は、使役の接辞(-s-, -as-, -os-)がより複雑であると捉えられる。
これは、伊藤 (1990) が述べるように、子どもにとって使役という概念が難しいからorMiyagawa (1998) が提案しているように、CAUSEとBECOMEという異なる主要部があり、より高い位置にCAUSEが現れるという動詞の内部構造に起因しているのか、ということが原因の候補として挙げられると、岡部(2018) は考えている。
また、接辞の部分で誤用が起こるということは、子どもが動詞を不可分な語として1つずつ記憶していくのではなく、1つの動詞を語幹と接辞とに分けて捉えていることを示す証拠であると述べている。
このことから、動詞が語幹を主要部とする動詞句√Pと接辞を主要部とする動詞句vPの2層から成るというHarley(1995, 2008)やMiyagawa(1998)らが主張するような構造を想定することを支持すると述べている。
今後の課題
なぜ同じ動詞であっても誤用が起こるときと起こらない場合があるのか
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